日本人は絶対に【日本人失格】を読んでほしい。
田村淳さんの「日本人失格」を読んでみました。
田村さんが感じる、日本の”ここがおかしいよ”という考えが書かれている。普通、日本のおかしいと思われる部分を指摘したら、空気を読めない奴、浮いている奴だと思われてしまうだろう。それが嫌で指摘出来ない人もいるだろう。でも、田村さんが感じる日本人の”同調ストレス”から離れ、あの人は変人だなって思われて生きていく方が楽なのかもしれない。
本の最後で田村さんは、日本の大問題「思考停止」と「依存体質」について話を展開している。僕はこの章の「思考停止」について自分なりに掘り下げていきたい。
思考停止にならずに、ルールを破れる人間でいたい
思考停止になる理由はなんだろう?
その理由として、人の目を気にして、自分には出来ないと悲観的になってしまうからだと思う。 でも、僕が何かチャレンジしてうまくいったり、充実感を得られた時は、例外なく”他人の目”を気にしていなかった時だった。
自分の中で何かやりたいなとか、これはチャレンジしてみたいと思いが生まれる事がある。しかし、何をしてもうまく行かない時がある。その時の思考の象徴は「これはできるか、できないか?」で分断されている思考の時だ。チャレンジする事に対して、「できるか、できないか」で悩んでいる時点で、その挑戦がうまく行くはずがない。
逆に自分の中で、物事がうまく行く時の思考が「やるか・やらないか」の思考のときだ。この時の頭の中では、これから自分が挑戦する事に対して、”できる・できない”の思考が完全に排除されている。「できるか・できないか」の思考の時は、必ずと言っても良い程、失敗した時を考えてしまっている。”これが出来なかった時は、どうしよう…。”と。失敗した場面を思い浮かんでしまうので、挑戦する事を避けてしまうのだ。
でも、「やるか・やらないか」の思考は最強だ。だってその思考の時は、失敗を失敗だと思わないからだ。例えば、僕が好きなタイプの女性が出来た時の話。大学で本当にタイプだなって思う女性がいた。200人ぐらいいる授業の中で知ったのだけど、学部も違うし、何にも接点は無かった。もう、完全な無の状況からスタートした。
何にも接点が無いけど、すごくタイプだったので話かけてみる事にした。
その時は、ストレートに素直に気持ちをぶつけて、「授業で見かけてすごく素敵だなって思っているので話しかけました」と理由を伝えた。相手は驚いていたけれど、話に応じてくれた。でも、いきなり話かけられてびっくりしたのか、初めて話かけた時はうまく行かなかった。
でも、この時の自分はとにかく達成感で一杯だった。もう、駆け引きなんかしないで、話しかけた理由をしっかり伝えたら、相手も話に応じてくれたから。この人は素敵だなって思い、しっかりと飾らない思いを自分の言葉で話せるのならば、別に接点なんか何にもなくても、気にせず話しかけてみればいいんだって思った。別に、なにかのキッカケは必要ではないと思う。
まず、自分の言葉で伝える事から始めよう。
自分が持っている固定概念を壊していきたい
自分が持っている固定概念に捉われてしまって、うまく行動出来ない人もいると思う。僕はその固定概念を壊していきたい。
前述した女性とは、あれから何度も話しかけて連絡先をゲットした。ご飯にも行った。でも、その過程でうまく行かない事はたくさんあった。でも、物事を「やるか・やらないか」の思考でチャレンジしている時は、スムーズに物事がうまく行かなくても、そこで諦める事はない。うまく行かない事が起こっても、そこで反省して次に生かそうと頭を切り替える事が出来る。でも、「できるか・できないか」の思考で挑戦自体を諦めてしまったら、何も得る事は出来ないだろう。
だから、僕は自分が「できるか・できないか」で物事を考えている時ほど、危険だなって思う。その時は、何も挑戦していないからだ。
挑戦する過程で得られる事が多くあるのだから、まずは「できる・できない」の思考から離れて、とにかく「やるか・やらないか」の思考に切り替えて挑戦する事。それが1番大事だなって思う。思考停止にならずに、どんどん挑戦したい。
明智小五郎の文代夫人は、怪人二十面相の妻になったのか。
皆さん、こんにちは。僕は現在、江戸川乱歩にハマっています。つい先ほど、明智小五郎事件簿の「魔術師」を読み終えました。いやー面白かった!この魔術師では、明智小五郎の夫人となる文代さんが登場します。
でも、僕は明智小五郎事件簿を順番に読んでいないので、文代夫人の事をとっくに知っていました。文代夫人が活躍する「吸血鬼」や、かなりの危機に晒される「人間豹」。これらを先に読んでいたので、文代さんが明智小五郎の探偵助手としてかなりの手腕を持っている事を既に知っていました。でも、どんなバックグラウンドを持っているかは知らず。「魔術師」では、文代さんの様々な背景を知る事が出来ます。
しかし、僕は読了後に、大槻ケンヂさんの解説を読んで少しびっくりする事がありました。
明智夫人は、明智の探偵団の中に、だんだんと登場しなくなり、やがてフェードアウトしてしまうのだ。
あれだけ作品内で焦点が当てられている文代さん。なぜ、文代夫人は段々と作品内に登場しなくなるのでしょうか。
明智の夫人が少年探偵シリーズから消えた代わりに、怪人二十面相の妻らしき女性が作品に登場するのだ。これは、もしや、明智夫人が、名探偵の夫を捨て、大犯罪者の妻として寝返ったということでは無いのか?
こう考察されています。まさか、こんな事があり得るのでしょうか?
でも、思い当たる節が、江戸川乱歩のアニメ化されている作品で確認出来るんです。
TRICK STER 江戸川乱歩 「少年探偵団」では、どうなっているのか?
僕は江戸川乱歩の著作が大好きです。しかし、その乱歩の「少年探偵団」がアニメ化されているとは知りませんでした(笑)2月に入り、何気なく深夜番組を見ようとチャンネルをいじくり回していた時に出会ったのが「TRICK STER」。
見始めたのが17話からだったんですが、正直な感想は意味がわからない(笑)
だって設定が2030年になっているし、小林芳雄君は「死ねない身体」になっているし、アニメ化するにしてもこの設定はよくわからんわと思いながら見ていました。
でも、そんな文句を言いながらも見続けようと決意した理由はEDの曲を見たから。
深夜にこのEDが流れた時は、あまりのかっこよさに脱帽(笑)
普段アニメは全く見ない僕が、継続して見ようと決意した理由がこの「罪の継承」という曲に魅了されたからです。ガクトさん、かっこよい!!!
今週の月曜日に放送された回で、なんと文代さんが登場します。そして、明智小五郎、怪人二十面相の両者は文代さんに惹かれていきます。これは、あくまでもアニメの内容として面白くするためにしているのかな?と解釈していたのですが、しっかりと可能性に基いた設定だったんですね。
少年探偵団シリーズから、文代夫人が段々とフェードアウトしてしまう。その理由はなぜなのか?
このなぜ?が自分の心の中に生まれた瞬間が、生きている瞬間でたまらなく幸せ。これから、乱歩の著作を読み込んで自分なりのアンサーを作るぞー!!では、今日はこの辺で。
人間は、そんなに強くないんだって。
清水富美加さんの件について思う事。
宗教や信仰などはその人の自由だと思うので、別に驚く事は無かったけれど、やっぱり彼女の精神的な状態がかなり気がかりだ。
周りに迷惑をかけてしまうというのは本人も理解している。でも、時に人は肌感覚でそれを感じているけど、自分の心身が疲弊してしまって、うまく正しい行動を出来ない時がある。自分の心と身体の状態がうまくセットして、ようやく行動出来るという事を忘れてはいけないし、その心身面で限界が来てしまったのならば、一度しっかりと休めばいいと思う。
自分の言葉でしっかりと話せと言うけれど、意外とこれが難しい。自分が抱えている悩みがあって、それを周りに言おうとしても、言葉が全く出てこない時がある。話そう、話そうと思っても何も言葉を発する事が出来ない。そんな経験を僕はした事がある。
自分の言葉で自分の悩みをはっきりと周りに伝えられる人がいたら、その人はまだ全然ましな方だ。本当に苦しんでいる人は周りに伝える事が出来ずに、ただただ苦しんでいる。
僕は、友人でもそうした精神的な悩みを抱えて、苦労して、それが爆発してしまった瞬間を目にした事がある。周りからみたら、なんで?と思うかもしれないけれど、本人はとても苦しんでいたのだ。
そういった人の心は、冷凍されたかの様に固く凍りついている。その心を溶かす作業をゆっくりとゆっくりとしなければいけないのだけど、それが出来る人は少ないだろう。そして、この作業が出来る人と出会えたら、自分の人生は本当に楽になる。
大事な事は「主観」と「客観」のバランスだ。
皆、自分が今いる立場の「主観」から抜け出す事が出来ずに、とても苦しんでいる。そんな時こそ、「客観的な意見」が大事になる。そして、その客観は環境を変えた時に得られる事が多い。だから苦しかったり、悩んでいたら、思い切って環境を変えた方が良いと思う。環境を変えた時に「客観」は得られるから。
あと、もう1つ大事な事は、想像力だ。
一見、周りから見たら不可解に見える行動でも、それを変だなと解釈して終わってはいけない。全てを「なぜ?」の研究テーマとして考える。例えば、なぜ、この人はこんな状態に変わってしまったのか?と。そうして少しでも相手に対して、想像力を働かせる事が大事になる。
僕は、大学2年生の時に、精神保健福祉士になりたかった。その関係で出会えた、精神保健の分野で尊敬している施設長がいる。その方に、悩んだ時、苦しんでいる時は躊躇いもなく相談をする様にしている。その度に自分は強くないんだなって思うけど、相談を終えた後には、人が持つエネルギーの力を身を持って体感出来る。
人間は 、そんなに強くないんだって。
だから、ゆっくりと時の経過を感じながら、人として成長していけばいいのだと思う。
兵庫県立飾磨工業高校柔道部の三輪光先生は、「人間的成長とは、器の材質を変えていく事」と仰っている。自分の人としての器が、ちっちゃくても、大きくても別にどっちでもよいと。大事な事は、その器の材質を変化させていく事。例えば、器の材質がガラスの様で、1度割れてしまったらもう元の様に戻れない人もいる。そうした、人の材質を粘土質の様に、何度でも器を作り直せるようにしていく。 その作業が、結果として「人間的成長」に繋がるのだ。
だから、1度崩れてしまっても何の問題は無い。また、器の材質を強固に出来る様に作り直していけばいいのだから。と僕は思う。では、今日はこの辺で。
スロウハイツの神様のエンヤは幸せになったのか。
僕が大好きな小説家・辻村深月さんの著作に「スロウハイツの神様」という作品がある。僕はこの作品が大好きだ。その理由は、この作品に出てくるエンヤというキャラクターが置かれる境遇にすごく共感したから。彼の心の苦しみがすごくわかり、彼の気持ちが痛いほど分かったのだ。
この作品の設定としては、それぞれ自分の夢を持っている若者たちが、トキワ荘の様に1つの家に皆で生活を共にしている。そこに住む者は色々な人がいて、絵本作家を目指している者、画家を目指している者、はては作家としてもう成功している者もいる。
細かくストーリーを書くと、かなり話が逸れてしまうので、ざっくり説明すると、もう作家としてかなり成功している赤羽環(あかばねたまき)という女性がいる。そして、同じく作家を志望しているがそこまで売れていない円屋という男性がいる。このエンヤは、赤羽環とは小学校からの友人である。
でも結論から言うと、このエンヤは赤羽環と決別し、スロウハイツという建物から出ていく事になった。僕はエンヤがこの様な過程に至るまでの苦痛が痛いほど分かってしまった。
エンヤは環を超えたかったんだ
はっきり言えば、エンヤは環を超えたかったんだと思う。でも、同じ作家として、環と自分の間に“超えられない壁”があるのを認めたくはない。その差を認めて、環の側にいるのは苦痛でしかない。だから、エンヤは環の側から離れる事を決意したのだと思う。
他の仲間が、環と仲良く談笑している姿を見て、エンヤは「お前ら環を超えたいと思わないのか」と言葉を発する場面がある。僕は、このエンヤの言葉が痛いほど分かってしまった。
この人を超えたい。この人と肩を並べられるような存在になりたい。誰だってこんな感情を持つ事はあるだろう。別に悪い気持ちではないと思う。僕だって、このような感情を持つ事はある。いや、めちゃくちゃ持っている(笑)でも、この感情を持って、自分は幸せになれるのかと不安になる事がある。
人の心情を洗い出すかの様に描写するのが、辻村深月さんの真骨頂
辻村深月さんの作品と言えば、ジャンルで言えばミステリーに当たるだろう。
辻村さんの作品は、猟奇的や怪奇的なシーンが多く描かれる。でも、辻村さんの真骨頂は、人の心情の細かい機微を洗い出すかの様に描写するところだと思う。読んでいて、これだけ作品内のキャラクターの気持ちとシンクロ出来る作品は他にはない。
辻村さんは本を読むことの1番の楽しみは、「他人になれること」と仰っている。実際に僕は作品内でエンヤになりきってみたけれど、幸せになれた気がしない。
エンヤは、幸せになったのだろうか。僕はいつか辻村深月さんにそこを聞いてみたい。
現代の高校・スクールカーストについて考える。
昨日、僕が大好きな「好きか嫌いか言う時間」というテレビ番組が放送されていました。内容が面白くていつも見ているのだけど、今回のテーマは「学校」でした。その中でも、すごく気になったのが「スクールカースト」について。
このスクールカーストという言葉は学校内での階級という意味。
この階級は別に生徒の学力での階級ではなく、「イケてるか、イケてないか」の様に目に見えない階級みたいなもの。正直、言葉でどう説明したら良いのかわかりません。でも、僕も高校生の時は肌感覚でこの階級を感じた事があります。
昨夜の放送を見て正直な話をすれば、”今”高校生じゃなくて良かったというのが本音です。それは、LINEいじめについて話をしている時に強く思いました。僕が高校生だった頃は、LINEなんて流行っていなかったし、既読無視なんていう概念自体ありませんでした。
仲が良い友人にメールをして、すぐに返信が来なくても”特に気にしない”のが普通の事。携帯見てないだけなんだなって解釈していました。でも、今の高校生はLINEいじめがあると思うとゾッとしました。
そんな中、りゅうちぇるさんが高校生の気持ちを思いやって、友達ってどういった存在なのかについて、この様な事を仰っていました。
「高校生の時は、一緒に移動教室を共にしたり、一緒に行動する人が、友達だと思うんだよね」と。
確かに高校生の時は、こんな考えがあったのかもしれません。でも、この関係は僕は友達ではないと分かっています。青山学院大学陸上部の原監督も言っていたけれど、この関係は卒業したら関係性としては”知り合い”ぐらいになるのだと思います。
やっぱり本音で話し合える友人が絶対に必要になると思う。自分がこう思っている!という”熱い思い”を話せる友人に1人でも出会えたら、高校生活は幸せに過ごすことが出来ると思う。僕はそういった友人と出会えたので、本当にそれだけでもう満足しています。そういった友達は自分が新しいチャレンジをしようとする時に、「お前には無理だよ」なんて言わずに、とことん背中を押す言葉をかけてくれます。
だから、あまりスクールカーストなんか気にせず楽に過ごせばいいと思う。1番の理想は、クラス全員が先生を倒してやるみたいな思いを持っている事(笑)
先週「アメトーーク」の「スクール☆ウォーズ芸人」を見て強く感じました。「あの先生なんやねん!」みたいな状態が出来れば、クラス内の誰かに矛先が向けられる事はないと思う。現代版、スクール☆ウォーズだと思うのが、兵庫県立飾磨工業高校。ここの柔道部顧問・三輪光先生が本当にすごい。詳しくは、「ありえへん∞世界〜飾磨工業柔道部編」をご覧あれ。
大学1年生の時に飾磨まで突撃した事があったのだけど、現代にこんな先生が存在しているの!?ってぐらいの先生です。でも、三輪先生の様に生徒ととことん向き合う人も絶対に必要だと思う。高校生の感受性ってすごいですからね。だからこそ、生徒は”自分の為を思って喋ってくれているんだな”ってスイッチが入れば、あとは自然と変わっていくはずだと思います。
三輪先生の言葉の中に、「生徒を色で見ろ」という名言があります。
生徒を色で見る事によって、この子はこういった色なんだと、あくまでも個性として見る事が出来るので、自分の好き嫌いで子どもと接する事はなくなるとの事。1度、兵庫の飾磨まで突撃してみる事をオススメします。では、今日はこの辺で。
高校3年の時に、ありえへん世界見て、兵庫県立飾磨工業の事を特集してて、三輪先生を知った。 こんなに人を惹きつける魅力のある先生はいないと思う。 pic.twitter.com/tzYfDjeUB1
— AKIRA ISHIZU (@azyara_usimitu) 2014年9月6日
オイコノミアを見て、結果にコミットする重要性を感じた。
今日の深夜に僕の大好きな【オイコノミア】という番組が放送していました。この番組は、社会の色々な事象を”経済学の視点”で紐解いていくというもの。
以前、記事にもしています。
話は少し逸れますが、今日の放送では、成蹊大学の図書館の会議室を使って放送していました。で…びっくりしたのが、成蹊大学の図書館凄すぎない…!?!?
こんな図書館があるんだ…っていうぐらい、幻想的な作りになっています。僕が通う明治学院大学では感じる事が出来ない”開放感”に包み込まれていました。明治学院の図書館はすごく狭いんですよね…如実に広々とした空間の差を感じました。
さて、話はオイコノミアの放送していた内容について。僕がすごく面白いなと思ったのが【コミットメントの重要性】です。
結果にコミットする
ライザップのCMでもよく用いられている、【結果にコミットする】という言葉。
じゃあ、このコミットってどういう意味なの?って思う人もいると思います。このコミットという言葉は、【約束する】という意味です。コミットメントという名詞では、責任を持った約束という意味になります。
でも、この結果にコミットという言葉。とても重要な意味を持っているんです。
オイコノミアでは、この問題を又吉直樹さんの相方である綾部さんの「ニューヨークに活動拠点」を移すというテーマに基づき説明していきました。
先に宣言する事の重要性
綾部さんは、「ニューヨークに活動拠点を移す」と周りに宣言しました。でもこの宣言をしたのは、2016年10月。本格的に活動をするのは2017年の4月からです。多少時間が空きますよね。
でもこの様に先に宣言をする事で、もうそれをやるしかない状態を作り出しているんです。
ニューヨークに活動拠点を移すと周りに宣言した事により、その準備をするしかない状態を作り出します。自分がニューヨークに活動を移してから、どう行動をしていくのか。自然と日本を離れてからの生活や活動について考え、行動を起こしていくでしょう。つまり、その宣言に基づき準備を始めるんです。
オイコノミアの放送では、
賢明な人⇒準備をする人
単純な人⇒何も準備をしない人 と区別しています。
このテーマの中で、千原ジュニアさんが面白い事を仰っていました。
皆さん、車の免許って持っていますか?ジュニアさんは、車の免許を持っていないのに、先に車を購入したらしいです。
一見、この行動って意味が分からないと思います。だって、車の免許を持っていないのに、車を買って何の意味があるの?運転出来ないじゃんって考えるのが普通です。
でも、ジュニアさんは車が納車される時期が近づくにつれて、「あっ車の免許取りに行かないと行けないから、自動車学校に行こう」と思ったらしいです。
でも、この行動ってすごく理にかなっていると思うんです。
車を”先に”購入する⇒でも、車の運転免許を持っていない⇒じゃあ、自動車学校に通おう
購入した車を運転したいから、免許が欲しい。その為に自動車学校に通う。うん、めちゃくちゃ理にかなっている。
僕も昨年、自動車学校に通い免許を取得したのですが、もう本当に苦痛の日々でした。だって、何にも目的がないんだもん(笑)僕の場合は…免許を持つのは当たり前だからという考えを押し付けられて、ずっと自動車学校に通っていました。
僕の場合:免許を持つのは当たり前だという考えが前提
車の運転免許を持っていない⇒⇒自動車学校に通う
という枠組みでずっと通っていました。ジュニアさんみたいに、車を運転したいという大きな理由がないので、自動車学校に通うのは苦痛しか感じませんでした。しかもマニュアル運転(笑)毎日エンストフィーバーしていました(笑)
この様に、先に車を購入するという行動や宣言をする事により、多くの人はその宣言に基づく準備をするんです。つまり、宣言した約束を果たす為に、人は行動していくんです。
人って先に宣言しないと、意外と準備しないもの
こう考えると、言葉に出して周りに何かを宣言していく事って重要なのだなって思います。それは何か大きな事を宣言する事がすごい!とか偉いというわけではなく、自分が宣言した事に対して、コミットメントしようとする”過程”や”プロセス”に意味があるのだと思います。
その過程では、しっかりと結果を出す為に”準備をする”事を怠らないと思うので。
そうした準備をする人こそ、賢明な人なんだと思います。
僕も賢明な人間を目指して、自分の目指したい事を恥ずかしがらずに宣言して、それに向かって準備をしていきたいと思います。その過程が人を成長させていくのだと思います!では、今日はこの辺で。
青春18切符に慣れすぎて、電車の乗り方が麻痺した話。
関東に住んでいる人なら、ほとんどの方が毎日電車に乗ると思います。僕も毎日乗っています。
でも、僕は電車の乗り方の意識が変になっていて、つい先ほど少しだけ痛い目にあいました。それは、僕がよく使っている”青春18切符”に慣れすぎた影響もあって、電車の乗り方の意識が麻痺していたんです。この間違いをもう犯さない為にも、ブログにしっかりと書き連ねておこうと思います!
普段、電車をよく乗る方は気をつけてね!!
青春18切符を使って、よく遠出をしていた。
僕は青春18切符が大好きです。
青春18切符は5日間という”限定付き”ですが、いくらでもJRの在来線を乗り降り出来る切符です。僕は今までにこの切符の恩恵をかなり受けていて、地元の新潟県に帰省する時は新幹線を用いず、この切符を使って、電車の在来線を乗り継ぎして新潟に帰っていました(タイム・イズ・マネーの意識をつけろ)
そこまで時間をかけて、電車で帰省する理由は何なの?って思う方がいると思います。
その理由として、
①電車に乗るのが基本的に好き
②移動時間中に本を読むのが好き
③移動時間中に聴く音楽が好き
④時間をかけて、目的地に着くのが意外と好き
⑤コスパが良い!!!
の最後の⑤が、全部を持っていきます(笑)
青春18切符の値段自体は約1万2000円です。
でも、上手に使えば、元の値段以上のお金で、色々な所に旅をする事が出来るんです。青春18切符は、時間はかかるかもしれませんが、ゆっくりと目的地に向かったり、気になった駅が現れたらふと降りてみたり。そんな遊びを効かせられるのが、この切符の醍醐味です。
でも、この青春18切符で遠出をする事に慣れてしまって、僕は少しだけ痛い目にあってしまいました*1
電車に乗った時点で”料金”が発生する
僕は、青春18切符を使って遠出をするのに慣れてしまっていたので、基本的に電車に乗った時点で”料金”が発生するという意識が消え去っていました。
2017年に入ってからも、青春18切符を使って山梨県の甲府駅に向かったりしました。
でも、青春18切符を使っているので、どんなに遠くに行こうとお金は発生していないというか、1回分のスタンプが消費されているだけという意識が刷り込まれていました。でも基本的に、電車に乗っている時点で料金が発生しているんですね。
ここから話が繋がります。さっき僕は千葉の田舎の駅にいました。定期券は品川まであるんですが、なんだか品川で降りる気がしなくて、友達がここに住んでるんだっけ。みたいなノリで品川で降りずに、その駅に到着しました。
そのまま、引き返せば良かったものの僕は何を思ったのか、残額が足りない時にスイカのカードを入れる機械に、自分のカードを通してしまっていました(やばい無意識)
そして、こんなにお金かかるのか。ふーん。と納得して、地元の駅にさっき帰ってきたら、改札でピッーとなる(笑)
なんで!?って思って駅員の所に向かったら、
駅員「どこまで行かれていました?」
僕「千葉の〇〇駅です」
駅員「じゃあ、2500円お支払お願いします」
僕「えっっ!??僕、改札から出ていませんよ!」
駅員「いや、電車に乗っている時点でその料金は発生しているんですよ」
僕「そ、そうだった…(俺のバカ、完全に失念していた…。なんで、あの時機械に通したんだっけ。)
みたいな感じで、2500円のお金を払ってきました。改札出なければ、大丈夫だと思っていた俺がバカでした!!
まとめ:電車に乗った時点で料金が発生しています。
皆さんも、自分の持っている定期券外まで行く事はあると思います。
でも、改札から出てないから大丈夫でしょ!と思っていたら、思わぬ落とし穴がありました。定期券の外に出た瞬間から、料金はもう発生している。その認識がすっかり忘れていました。
自分に言い聞かせる様に言いますが、定期券外に出ている時点で、料金自体は発生しているんです…。その意識が綺麗さっぱり無くなっていた自分が馬鹿でした(笑)
でも、そう考えると青春18切符で好きな所に向かい、好きな駅で乗り降りするって本当に素晴らしいですよね。より一層、青春18切符の魅力に気づきました。
よし、今度から気をつけます。。。
*1:泣