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AKIRA@日記

ソーシャルワークが出来る人間を目指す大学生。

現実か虚構か。羽田圭介氏の【成功者K】の読み応えが凄い。

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 こんなに読み応えがある作品は久しぶり。

【成功者K】はこう形容するしか言葉が思いつきません。それぐらい、ページをめくる手が止まりませんでした。今日は、この作品について感想を書きます。

 

現実か虚構か。その境目が分からなくなる。

 小説を読むことの1番の楽しさは、「他人になれる事」だと思う。

小説という仮想空間内で、その主人公と一体化し、様々な経験をする。あまりにも無理な設定でも、主人公というキャラクターに成り切り、その物語を体験する事が出来る。そこが小説の楽しさだ。

 

 しかし、この【成功者K】は仮想空間ではなく、限りなく現実に近い。

羽田圭介氏自身に成り切り、彼が体験してきた事を追従する事が出来るのだ。

 

僕はこの作品を読む前に、「文學界」という本を購入した。なぜ、この本を買ったのかというと、羽田圭介氏と村田沙耶香氏の対談形式のインタビューが掲載されていたからだ。そして、このインタビューで羽田氏が話していた内容と、成功者Kが思考している内容がリンクしたのだ。

 

その瞬間、僕はすごく混同してしまった。

あれ、これはどこまでが本当なのだろうか?嘘か本当の境目が分からなくなってしまった。例えば、文學界で羽田氏がテレビについて話す場面がある。

 

最初のほうでオンエアされた番組のキャラを起点にして進めていくの。

その前段階にある素人の僕ではなくて、テレビで一度キャラ付けされた僕をそのまま使うっていう感じ。だから、僕に求めてるものの範囲が狭くて、向こうの作る台本にきっちり収まるような発言をしない限り収録が終わらない。

検察の誘導尋問みたいな感じなんだよ。

P51 私たちが受賞で得たもの

 

インタビューを初めて読んだ時 、検察の誘導尋問みたいな感じなんだよ。というフレーズがすごく頭に残っていた。テレビでは、自分の思ったままの事を言っても、その尺に収まるような形にしないと収録が終わらないのだなと思うと、なんて無力なんだと感じた事を思い出す。

 

この作品はフィクションか?その境目が分からなくなった理由として、成功者Kを読み進めると、まるで検察の誘導尋問みたいという言葉が出て来るのだ。

 

村田氏との対談で話した内容と、成功者Kが感じた思考がリンクしている。

その事実が、虚構という壁を破壊して、グレーであった部分を限りなく透明に、クリアにしてしまう。

 

実際に村田氏との対談で、成功者Kは約2ヶ月で執筆したと話していた。そして、物語内でもしっかりと2ヶ月で書いているのだ。これも繋がっている。

 

現実の対談で話した内容が、成功者Kという物語内でもその言葉通り体現されているので、より一層真実度が増す。羽田圭介氏の対談を読み、羽田圭介氏のテレビを今までよく見てきた人ほど、この話が虚構ではなく現実だと思わせる仕組みになっている。

 

 

果たして、成功者Kは幸せなのか?

 成功者Kは芥川賞を受賞してから、様々な女性と性交を始める。

この性交を描く場面が、リアリティを感じてすごく良い。現実感を感じさせるのは、しっかりと日常を描いているからだ。テレビ局でいつも2,3個置いてある弁当を全て食べてしまう場面や、成功者Kの目線から繰り出される、身体感に基づく叙述。僕は羽田氏のこの部分が好きだ。

 

 羽田圭介氏が芥川賞を受賞した【スクラップ・アンド・ビルド】では、主人公が自慰行為にふける場面が何度も展開される。まさか、自慰行為をこんなに丁寧に描くのにも驚いた。老いた祖父のやせ細った身体と自分の屈強な身体を比較し、自分のたくましさを表現するなど、羽田氏は身体やその感覚を丁寧に描く。

そして、物語の進行と共に、以前感じていた身体感覚が時の経過に伴って段々と変化していく所を、身を持って体感させてくれるのだ。

 

 成功を手にしてから、ファンにすぐ手に出す様になった成功者Kに対しては、節操が無いなと感じたりもした。しかし、時に人間は欲の塊になる。仮に自分も成功を手にしたら、成功者Kと同じ行動を取ってしまうかもしれない。そう考えると、人間の欲にぶつかる作品なので、何度も読み返したいとは思わない。でもその分、濃密度が凄い。

 

だが、なぜこの作品はこんなにも読み応えがあったのだろうか?

前述した対談から、村田氏の言葉を引用する。

すごく信頼している方で、書く上でとてもお世話になっている人がいるんだけれども、その人に「このままだとちゃんと読んでもらえない作家になるよ」って言われて……。

 

クレイジーな人がクレイジーなものを書いてる、それはすごく安全な場所から眺めることだから、安全な読み方しかされなくなる。自分に引き寄せてこの問題をちゃんと考えてくれる読者がいなくなってしまうって。

 

そういうふうな形でテレビに出て、読まれない作家として、ただのキャラクターとして使い捨てられていくことは作家としてすごく危険なことだから、もうバラエティには一切でないほうがいいよっていうことを懇々と諭されて。おっしゃるとおりだって思ったの。

 

P45 私たちが受賞で得たもの

 

 クレイジーな人がクレイジーなものを書いている。

その様に認識される事は、危険な兆候なのかもしれない。

設定があまりにもぶっ飛んでいたり、作者がクレイジーな人だと認識されていたら、出来上がった作品は、読者としてはただ面白い読み物として消化されてしまうだけだろう。

 

だからこそ大事な事は、作品を読みながら、どれだけ自分の事として引き寄せられるかだ。

羽田圭介氏がテレビに多く露出を増やす事によって、周りから認知されていくと同時に、羽田圭介という人はどんな人なのかと興味が湧いた人は多いと察する。

 村田氏が危惧した様に、テレビを見て初めて羽田氏を知った人からすれば、ここでいう”安全な読まれ方”しかされていないかもしれない。でも、羽田氏の著作をしっかりと読んでいる人ならば、自分の問題として捉えながら読書する。

 

その時に、この作品は計り知れない物を生み出したと思う。つまり、成功を手にした者の人生の変化である。実際に成功者Kに成り切って、成功者Kの人生の変化を自分の問題として捉えた時、僕自身羨ましさを感じたと同時に、幸せで満ち足りた状態かと言えば、そうではない。でも、羨ましいけどね。

 

ただ、辿り着いた者にしか見えない景色がある事も事実。

それを小説という形で、しかも成功者Kに成り切って体感出来るのは、やはり小説って素晴らしいなと思う。

孤独ではなく、孤高を目指す!ボクサー・鷹村守の生き方が、かっこよすぎる。

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(写真は、ボクサーという犬)

 

 皆さん、こんにちは。毎週水曜日は、週刊少年マガジンの販売日ですね。今日は、マガジンで掲載している「はじめの一歩」というボクシング漫画に着目します。その中でもボクサー・鷹村守について記事を書きます。

 

 「はじめの一歩」を読んで、この鷹村守というボクサーの”生き方”があまりにもかっこよく、読んでいて身体が痺れるぐらい興奮してしまいました。

 

 今週号で、鷹村守が世界ミドル級王座防衛戦に出場する事になったのですが、彼はこの防衛戦に文句をつけまくります。それは、彼がスーパー・ミドル級に挑戦したいからです。彼は、前人未踏の6階級制覇を達成したいので、防衛戦などやってる暇はないと言い張ります。

 

 それを見た主人公・一歩は、鷹村が目指している領域があまりにも遙か彼方の目標であり、1歩1歩地に足を付けて進んでいく自分と比較し、「鷹村さんは孤独ではないんですか?」と質問します。

 

そして、この後の鷹村の答えがとにかく痺れるんです。

 

 

孤高と呼べ

 鷹村守という人間は、誰にも理解出来ない立場にいる。だからこそ鷹村さんは孤独ではないかと。そう一歩は考えました。

 

その問いに対して鷹村はこう返します。

初めは誰だって何者でもない

オレ様もキサマもスタートラインは同じだ

それが何かのキッカケで歩き出す 前へ進む

なんでもねぇ平坦な道は ある所で急に厳しい坂になり

 

障害物をどけながらの山登りになる

どけてどけて頂上を目指す

 

頂上には一人分の足場しかない

 

最後の邪魔をどけて そこに立つ

 

 辿り着いた者にしか見えない景色がある

それを見るために 皆 登る

 

臨んで行った場所だ 孤独と言うな

 

孤高と呼べ 

 

鷹村守は、歴史と戦っている

 たった1人だけが見る事が出来る景色。それを見る為に、登り続ける。

鷹村は頂上に辿り着き、そこから覗く景色には、光輝く星が見えるといいます。

 

でもなぜ、そこまでして登り詰める必要があるのか。

それは、今まで偉大なボクサーが見てきた景色と同じ景色を見る為。いやそれ以上の景色を見たいから。

 

この考えを聞いた一歩は思わず「鷹村さんは歴史と戦っている」と驚愕します。

そして自分と比較し、真似できそうにない、いや、できないと判断します。

 

その姿を見た鷹村が、また一歩にこう言います。

 

やるか やらないか それだけだ!

 できる できねぇってすぐ頭で考える

 

違うだろ

 

動け

 

やるか やらないか それだけだ!

 

多分、多くの人は一歩の様な考えだと思う。

自分が挑戦する物事に対し、「出来る、出来ないか」で考えてしまう。

僕自身もそれで悩んでいた時がありました。その時の思いを記事にしています。

 

 日本人失格を読んで思う事。

 

 頭で考えている内は、何も始まらない。

ただ、前を向いて動く。それしか未来を切り開く事は出来ない。

「やるかやらないか」で物事を考えている人は、強い意思と覚悟を持っている。

 

そして、物事が失敗に終わったとしても、そこで挑戦した事によって得られた経験値により、もっと高い次元を見ようと努力する。この場合、鷹村が頂上に辿り着こうと崖を登り詰める作業です。

 

 もっと高い次元、自分が見たこともない領域を見るためには、挑戦するしかない。

皆と同じ事だけをやっていては何も変化しない。一見、他の人から見たら変わっていると思われるかもしれないが、そうして挑戦し続ける人だけが、孤高の存在になれる。

 

鷹村守というボクサーの生き方に、心底痺れました。

挑戦し続ける人の生き方って、停滞を感じさせないので、本当にカッコよい。

 

【バリバラ】MZK(最もズレてる健常者)!? いや、みんなMZKからスタートします。

 こんばんは。今日は最近見たバリバラについて記事を書きます。 

この放送をご覧になった方はいますか?

内容としては平成ノブシコブシ・徳井さんが「1日ヘルパー体験」をするというもの。 

 これが本当に良い放送だったんです。

平成ノブシコブシ・徳井さんはMZK(最もズレてる健常者)と言われていました。

それは、脳性麻痺を抱えている人を、小さい子どもにどう説明するかという質問に対し、「曲がってる人もいるんだよ」と応対するほどです(笑)

 

でも、実際に何かしらの障害を抱えている人と直に接してみなければ、この”ズレ”は縮まらないと思います。そして、このズレって、あくまでも自分が知らない事に対する、思い込みみたいなもの。

 

人間って、自分が経験した事が無い事、知らない事に対してはよく分かっていません。だから、勝手な偏見や思い込みが生まれ、その事柄をしっかり理解している人と比べて、認識のズレが生じます。

 

でも、この”認識のズレ”は、実際に現場に行って体感すれば徐々に無くなっていきます。 

だから、まずは体験して、認識のズレを無くしていく事が大事。

 

 

僕自身、偏見をかなり持っていた。

 僕は大学2年生の時に、精神疾患を抱える方が通う、地域活動支援センターで実習を行った経験があります。当時は右も左も何も分からなくて、精神疾患を抱えている人に対して漠然としたイメージしか持っていませんでした。

 

僕がなぜ、精神疾患を抱える人が通う施設に実習に行こうと思ったのかは、以前記しました。

 

 僕はソーシャルワークが出来る人間になりたい。 

 

 

でも、実際に施設に行くまでは、やっぱりどんな人がいるか分からないし、怖いんです。実習が始まってもず〜と緊張が止まらず、なかなか自分を表現出来ませんでした。

 

そんな僕を見た利用者の方は、とにかく思いやりを持って接してくれました。 

自分が緊張でガチガチになった時に、人が思いやりを持って接してくれたり、辛い時に支えてくれる言葉をかけたりすると、かなりエネルギーをもらいますよね。

 

 施設の利用者の方々から、たくさんのエネルギーをもらいました。

 そして、身を持って利用者の優しさに接した時には、僕は実習に行く前までに感じていた偏見や不安はすでに消え去っていました。

 

ズレは、自分が頭ででっち上げた認識の差みたいな物。

身をもって体感すれば、ズレは縮める事や無くす事が出来ます。

 

 

あくまでも、その人の主体性を大事にする

 実際に、平成ノブシコブシ・徳井さんは施設で「1日ヘルパー」を体験しました。

食事介護なども実際に体験していました。でも、ここですごく面白い事が起きました!

 

ある利用者さんがうどんを食べたい!と言い、徳井さんが食事介護をしていました。

その利用者の方は、徳井さんに「七味を入れて下さい!」とお願いしていました。

 

でも…七味の量が半端ない!!(笑)

これ、絶対に辛すぎて食べれない!と思うぐらいに七味を要求する利用者の前に、徳井さんは愕然。

 

でも、これで良いんです!

あくまでも、その人の主体性を尊重しないといけません。

 

「いや、そんなに七味を入れては辛すぎるからダメだよ」と自分の意見を押し付けるのではなく、あくまでも相手の気持ちを尊重するそして、最後の決定権は相手側に委ねる。この意識を持っていれば、MZK(最もズレてる健常者)ではなくなります。思考を考え直す良い機会になりました!

 

では、今日はこの辺で。

 

坂上忍さんの「スジ論」を読んだ感想。おとこは正解を求めるな?

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 坂上忍さんが書いた「スジ論」を読んでいます。

本の内容は、坂上さんが仕事をする上での「大人のルール」を示したもの。その中でも、すごく共感したのが「正解を求める前に失敗を繰り返せ」という言葉。

 

 坂上さんのこんなエピソードに、なるほどな〜って思いました。

それは、坂上さんがタバコを吸おうとして、手持ちが無い事に気づいた時に、一瞬でタバコを手渡してくれるのは、基本的に女性の方が多いらしいです。

 

逆に、男性は分かっているのだけれど、一瞬迷ってしまう。

タバコなのか、アメなのか。その一瞬の逡巡が浮かんでしまい、すぐ行動に移せない。しかし、女性は悩まないですぐ行動に移せる人が多く、そこを男性は見習うべきだと、坂上さんは仰っています。

 

これ、すごく分かります!女性って、なんであんなに迷わずに動けるのだろう?

 

日本料理屋でアルバイトしていた時を思い出した

 僕は大学1年生の時に日本料理屋でアルバイトをしていました。

でも、当時の自分は飲食でアルバイトをするのが初めてだった事もあり、失敗をするのを極度にためらっていました。

 

大将からの指示が無ければ、自分から能動的に動き出す事も少なかった気がします。その理由がやはり、正解を求めていたからです。別に正解なんてないのにね。

 

でも、一緒に働いていた女性の先輩は、もうとにかく動く、動く。

例えば、お客様が箸やフォークを落とす。落としたその瞬間に、女性はもう新しい箸を渡そうとします。本能に従うままに動いて、それで間違っていたらすぐに修正する。凹む事なく、どんどん行動する姿は本当にすごいなと思いました。

 

 男性もしっかり観察をしているんです。観察はね。

でも頭の中ですごく考えて、「これ、どうしようかな〜。こうした方が良いかな〜」ってどうしても躊躇ってしまう。その思考している間に、女性はもう動いています。飲食店で一緒に女性と働くと、その凄さを痛感しますよね。

 

 

じゃあ、男はどうすればいいの?

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 男は、理屈とか論理で動く人が多い。

男性って感情的に動く人ってあまり多くないと思います。でも、女性は感情や直感で動く事が多い。その気持ちを理解してあげれる人はモテますよね(笑)

 

じゃあ、男ってどうしたら良いの?

とにかく女性の真似をして、女性の行動を見習いましょう。僕も、当時の自分にそのままこの言葉をぶつけてやりたい(笑)

 

でも、男は”やる気スイッチ”が入ったら、最強モードになるんです。めっちゃ頼りがいが出てきます。でも、このやる気スイッチが入らないと男は全然ダメ。

 

だから、女性の皆さん。

男性の”やる気スイッチ”を頑張って見つけて押してあげて下さい。そしたら、勝手に動き出しますので!(笑)

 

スジ論 (新潮新書)

スジ論 (新潮新書)

 

 

5.5畳vs10畳の部屋。読書に向くのはどっちの部屋なのか?

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 皆さん。いきなりなんですが読書をする時、広い部屋と狭い部屋でするなら、どっちの部屋を選びますか?

 

僕は現在、実家に帰っているのですが、大好きな読書が全然進みません。もう、びっくりするぐらい。自分なりに、なんでだろうな〜って考えて出た答えが”部屋の広さ”が関係しているのではないかと!?

 

 僕が実家で過ごす部屋は、広さで言ったら10〜11畳ぐらいの広さ。でも、上京して1人暮らししている時に過ごす部屋の広さは5.5畳。その”決して広くはない空間”に机や、布団など様々な生活家具を置いているので、肌感覚としてはかなり狭く感じます。

 

 でも実家の部屋では、机、ベッド、本棚など置いてもかなりのスペースが空いていて、筋トレをする為に使うマットを敷いて、軽く筋トレをする事も出来ます。でも、なぜだかこの広い空間が、こと読書には合わない。

 

 広々とした部屋で過ごすのは快適で気持ちが良いのだけど、なんだか読書だけが集中仕切れないんです。これは完全に僕の主観ですが。僕としては、閉ざされた、言わば閉鎖空間に近い部屋で読書する方が”本の世界”に入りきれるんだろうなと思います。

 

 

広い部屋は、視覚から得られる情報が多くなりすぎる

 僕の感覚で言えば、広い部屋はそのスペースを有効活用しようとするあまり、何かと物を置きすぎているんじゃないのかなと思う。その結果、視覚から得られる情報が多くなって、読書に集中する事が出来なくなっているんではと考えた。逆に、僕が1人暮らしをしている部屋は、”最低限必要な物”しか置いていない。視覚から得られる情報は限られるし、部屋が狭いのでより一層、自分の頭の世界に集中する事が出来るのではないのかなと思う。

 

部屋が狭くても、悪い事ではない。

 こう考えると、決して狭い部屋は悪い事ではないのかな〜と思う。

だって、僕が1番好きな娯楽は”本を読む事”で、その中でも好きな作家の小説を読んでいる時は至福の一時。でも、その時間を実家の広い部屋だと、あまり感じる事が出来ない。うーん、本当に不思議なんだよなぁ。

 

 

高校生と大学生。両者の間で変化した事。

そして、高校生と大学生の両者の時間を比較して見ると、圧倒的な差が現れたのが”読書量”。高校生の時は漫画が大好きで、視覚から得られる情報をすごく好んでいた。

 

でも、大学に来てからは一転。漫画は一切読まなくなってしまった。正確には”週刊少年マガジン”しか読まなくなった。大学に進学してからは、視覚から得られる情報が多い漫画よりも、活字を読んで、自分の頭の中で想像して考える時間が増えたのだ。

 

それは、自分が過ごしている部屋ともかなり関わりがあるんだと思う。

決して広くはない部屋で過ごし、自分1人で過ごせる時間が増えた中で、視覚だけではない”目に見えない物”を追い求めるようになった気がします。でも、視覚から得た情報をうまく処理する力、そして、活字を読んで頭で想像する力。どちらも大事だと思う。

 

そして、僕自身は、読書に向くのは”狭い部屋”だと感じました。あくまでも個人の感想です(笑)でも、決して閉鎖空間が好きなわけではありませんよ!エレベーターとかで閉じ込められたら発狂するタイプなので(笑)では、今日はこの辺で。

いつまでも若者ではいられない。猛省します!

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 下重暁子さんの「若者よ、猛省しなさい」という本を購入しました。今日は、若者論について書きたいと思います。

 

まず、若者って何歳までなんだろう?うーん。考えてみたけれど、年齢で定義する事は出来ないのかもしれない。

だって、18、19歳でもビックリするぐらい精神的に大人びている人もいる。その一方、二十歳を超えてまだまだ”子供っぽい”人もいる。

 

年齢は21、22歳になっているのに、少し子供っぽく見えてしまうのは、まだまだ人として中身が空っぽだからだ。その中でも鍵になるのは、人として”成熟”しているかどうかだと思う。そして、この成熟が出来ている人は絶対に”精神的な自立”を果たしている。この精神的な自立もとても重要だ。

 

この精神的な自立は、どうしたら出来るようになるのか?

それは簡単で、大人の人と一緒に過ごす事。そして、自分のダメな所をどんどん言ってもらう事が大事になると思う。

 

自分より40歳は年が離れた大人と、とにかく話をしてみる!

 これは僕の意見だけれど、24、5歳ぐらいの”少しだけ”年齢の差がある人に色々と話をするよりかは、思い切って40歳ぐらい年が離れた人と仲良くなってみるべきだと思う。もう、還暦を超えている人ですね。

 

なんで、還暦を迎えた人でなければいけないのか?

それは、その人達には60年も生きてきた人生の経験値がある。でも、その人達がどんなに願っても、”当時の20歳”に戻る事は出来ない。つまり、その方達が持っていないのは”若さ”だけ。だから、”時間と若さを持て余している”若者を見ると、「そんなんじゃいけないよ」と言葉をかけてくれる。その言葉は、とにかく含蓄があるのだ。

 

その時に、「ふんっ、おじさんの話なんか聞かないよ」という姿勢を持ってはいけない。だって、その言葉はとにかく生きていく上で大事な”ヒント”が詰まっているからだ。年上の大人の言葉に紳士に耳を傾ける。時には、辛辣な言葉も投げかけられるが、その言葉の意味をしっかりと捉えれば、成長出来ると思う。

 

僕が尊敬する方で、すごく心に響いた言葉。

 僕が尊敬する男性(もう62歳)の方が、僕の為にアドバイスしてくれた言葉の中で、すごく心に残った言葉を3つ紹介します!

 

①目に見えない物を追い求めなさい

②もっと芸術に触れなさい

③死にたくなるような恋愛をしなさい

 

 この3つは、僕がいつも心の中で反芻している言葉。

そしてこの3つに近い内容を、下重暁子氏は著書の中で語っている。人が生きていく上で大事になる”本質に触れた言葉”だとも思う。

 

この”人の本質に迫る”という部分で、気になったテーマが「若者と挫折」。

著書の中でも特にこれは面白かったです。

 

挫折を知らない人間ほど、つまらない人間はいない

挫折を知るとは、自分の本質を知る事と重なる。

挫折したとき、人は初めて自分の心の中をのぞく。それを入り口にして、自分の中へ折りはじめる。結果として自分の弱さを知ることになり、物を考えはじめる。自分の心と対話して、正直に自分を見つめようと努力するのだ。(p130)

 

 

下重氏は、挫折を知る事の重要性をこう説いている。

挫折をする事で、自分はどういった人間なのかを知る良い機会になるのだ。その過程で、自分の弱さを知る事になる。でも、そこから目を背けてはいけない。そこで自分の弱さと向き合える人が、人として成長していくのだと思う。そういった意味では、負けた時に人の本質が現れるのだと思う。

 

 

僕も自分の弱さとしっかり向き合える様に、猛省します。

そして、もう還暦になるぐらいの大人と、どんどん知り合いになりたいと思いまーす!そして、アドバイスをガンガンもらい成長しまくりたいと思います!では、今日はこの辺で。

 

若者よ、猛省しなさい (集英社新書)

若者よ、猛省しなさい (集英社新書)

 

 

 

 

地元で就職か。関東で就職するかを考える。

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 なぜブログを書くのか。それは、自分の気持ちを定点観測したいから。

 

 皆さん、こんばんは。これからしばらく地元・新潟に帰省しようと思います。その理由は、就職活動の準備をするからです。色々と準備や説明会に追われそうだなぁ。でも、Jリーグが開幕して、アルビレックス新潟の試合を見れる喜びに比べたら屁でもない。今年もアルビレックス新潟を全力で応援致します。

 

Uターンをするか。関東に残るか

さて話は変わり。僕は今年で大学4年生です。就職活動をしなければいけないのだけど、悩んでいる事があります。それは地元に帰るか、関東に残るか、です。

 

先日、一人暮らししている町に家族が来て呑んだのだけど、全く高揚感がありませんでした。自分でもビックリするぐらい。なんでだろう?ってすごく考えたのだけど、答えは一瞬で見つかりました。僕は、この町にそれほど“愛着”が無いのかもしれない。

 

端的に言えば、今住んでいる町に対して、“帰属意識”を感じていないのだと思う。

例えば、大学進学と同時に関東に上京し、初めて地元の新潟に帰省した時、地元の町並みを見るだけで、その時過ごした記憶がとめどなく溢れだしてきました。そんな経験をした事はありませんか?

 

新潟に帰省したら、アルビレックス新潟の試合を観戦しにビックスワンに訪れる。オレンジのユニフォームを身にまとったサポーターがスタジアムを覆う。その姿を見た時、やっぱり“新潟っていいな”って思う。

 

その様な土地に対する帰属意識が、今住んでいる関東には無いんだと思う。

だから、家族が関東に来た時もなんにも高揚感は無かった。この高揚感が無いのが嫌なんだ。逆に、関東の友人が新潟に遊びに来た時、”帰属意識と高揚感”を感じるパターンがある。この時は言葉ではうまく形容できないぐらい“心地良さ”を感じる。

 

自分が生まれ育った町に、関東の友人がいるという“違和感”がいつの間にか、すごい心地よさになる事がある。新潟で過ごした記憶と、関東で過ごした記憶が交差するかの様で面白い。「あれ、この場所でこんな事したよな〜」と回顧するその隣には、その思い出には全く関与しない、関東の友人がいる。その瞬間、とてつもない違和感が心を覆い尽くすと同時に、”幸福感”も与えてくれる。

 

初めて関東に上京した時、右も左も何も分からない状況で生活がスタートした。寂しさも感じたし、解放感も感じた。新しい町並みを目にするだけで、胸の高揚が止まらなかった。でも、今はそんな高揚はもう無い。

 

住むという事は、その土地に根を下ろすという事だ。どうせ根を下ろすなら、自分が好きになれる町が良いなと思う。

 

とりあえず新潟に帰ったら、“荒れ狂う日本海”を見に行きたいと思います。では、今日はこの辺で。