AKIRA@日記

ソーシャルワークが出来る人間を目指す大学生。

孤独ではなく、孤高を目指す!ボクサー・鷹村守の生き方が、かっこよすぎる。

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(写真は、ボクサーという犬)

 

 皆さん、こんにちは。毎週水曜日は、週刊少年マガジンの販売日ですね。今日は、マガジンで掲載している「はじめの一歩」というボクシング漫画に着目します。その中でもボクサー・鷹村守について記事を書きます。

 

 「はじめの一歩」を読んで、この鷹村守というボクサーの”生き方”があまりにもかっこよく、読んでいて身体が痺れるぐらい興奮してしまいました。

 

 今週号で、鷹村守が世界ミドル級王座防衛戦に出場する事になったのですが、彼はこの防衛戦に文句をつけまくります。それは、彼がスーパー・ミドル級に挑戦したいからです。彼は、前人未踏の6階級制覇を達成したいので、防衛戦などやってる暇はないと言い張ります。

 

 それを見た主人公・一歩は、鷹村が目指している領域があまりにも遙か彼方の目標であり、1歩1歩地に足を付けて進んでいく自分と比較し、「鷹村さんは孤独ではないんですか?」と質問します。

 

そして、この後の鷹村の答えがとにかく痺れるんです。

 

 

孤高と呼べ

 鷹村守という人間は、誰にも理解出来ない立場にいる。だからこそ鷹村さんは孤独ではないかと。そう一歩は考えました。

 

その問いに対して鷹村はこう返します。

初めは誰だって何者でもない

オレ様もキサマもスタートラインは同じだ

それが何かのキッカケで歩き出す 前へ進む

なんでもねぇ平坦な道は ある所で急に厳しい坂になり

 

障害物をどけながらの山登りになる

どけてどけて頂上を目指す

 

頂上には一人分の足場しかない

 

最後の邪魔をどけて そこに立つ

 

 辿り着いた者にしか見えない景色がある

それを見るために 皆 登る

 

臨んで行った場所だ 孤独と言うな

 

孤高と呼べ 

 

鷹村守は、歴史と戦っている

 たった1人だけが見る事が出来る景色。それを見る為に、登り続ける。

鷹村は頂上に辿り着き、そこから覗く景色には、光輝く星が見えるといいます。

 

でもなぜ、そこまでして登り詰める必要があるのか。

それは、今まで偉大なボクサーが見てきた景色と同じ景色を見る為。いやそれ以上の景色を見たいから。

 

この考えを聞いた一歩は思わず「鷹村さんは歴史と戦っている」と驚愕します。

そして自分と比較し、真似できそうにない、いや、できないと判断します。

 

その姿を見た鷹村が、また一歩にこう言います。

 

やるか やらないか それだけだ!

 できる できねぇってすぐ頭で考える

 

違うだろ

 

動け

 

やるか やらないか それだけだ!

 

多分、多くの人は一歩の様な考えだと思う。

自分が挑戦する物事に対し、「出来る、出来ないか」で考えてしまう。

僕自身もそれで悩んでいた時がありました。その時の思いを記事にしています。

 

 日本人失格を読んで思う事。

 

 頭で考えている内は、何も始まらない。

ただ、前を向いて動く。それしか未来を切り開く事は出来ない。

「やるかやらないか」で物事を考えている人は、強い意思と覚悟を持っている。

 

そして、物事が失敗に終わったとしても、そこで挑戦した事によって得られた経験値により、もっと高い次元を見ようと努力する。この場合、鷹村が頂上に辿り着こうと崖を登り詰める作業です。

 

 もっと高い次元、自分が見たこともない領域を見るためには、挑戦するしかない。

皆と同じ事だけをやっていては何も変化しない。一見、他の人から見たら変わっていると思われるかもしれないが、そうして挑戦し続ける人だけが、孤高の存在になれる。

 

鷹村守というボクサーの生き方に、心底痺れました。

挑戦し続ける人の生き方って、停滞を感じさせないので、本当にカッコよい。