AKIRA@日記

ソーシャルワークが出来る人間を目指す大学生。

いつまでも若者ではいられない。猛省します!

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 下重暁子さんの「若者よ、猛省しなさい」という本を購入しました。今日は、若者論について書きたいと思います。

 

まず、若者って何歳までなんだろう?うーん。考えてみたけれど、年齢で定義する事は出来ないのかもしれない。

だって、18、19歳でもビックリするぐらい精神的に大人びている人もいる。その一方、二十歳を超えてまだまだ”子供っぽい”人もいる。

 

年齢は21、22歳になっているのに、少し子供っぽく見えてしまうのは、まだまだ人として中身が空っぽだからだ。その中でも鍵になるのは、人として”成熟”しているかどうかだと思う。そして、この成熟が出来ている人は絶対に”精神的な自立”を果たしている。この精神的な自立もとても重要だ。

 

この精神的な自立は、どうしたら出来るようになるのか?

それは簡単で、大人の人と一緒に過ごす事。そして、自分のダメな所をどんどん言ってもらう事が大事になると思う。

 

自分より40歳は年が離れた大人と、とにかく話をしてみる!

 これは僕の意見だけれど、24、5歳ぐらいの”少しだけ”年齢の差がある人に色々と話をするよりかは、思い切って40歳ぐらい年が離れた人と仲良くなってみるべきだと思う。もう、還暦を超えている人ですね。

 

なんで、還暦を迎えた人でなければいけないのか?

それは、その人達には60年も生きてきた人生の経験値がある。でも、その人達がどんなに願っても、”当時の20歳”に戻る事は出来ない。つまり、その方達が持っていないのは”若さ”だけ。だから、”時間と若さを持て余している”若者を見ると、「そんなんじゃいけないよ」と言葉をかけてくれる。その言葉は、とにかく含蓄があるのだ。

 

その時に、「ふんっ、おじさんの話なんか聞かないよ」という姿勢を持ってはいけない。だって、その言葉はとにかく生きていく上で大事な”ヒント”が詰まっているからだ。年上の大人の言葉に紳士に耳を傾ける。時には、辛辣な言葉も投げかけられるが、その言葉の意味をしっかりと捉えれば、成長出来ると思う。

 

僕が尊敬する方で、すごく心に響いた言葉。

 僕が尊敬する男性(もう62歳)の方が、僕の為にアドバイスしてくれた言葉の中で、すごく心に残った言葉を3つ紹介します!

 

①目に見えない物を追い求めなさい

②もっと芸術に触れなさい

③死にたくなるような恋愛をしなさい

 

 この3つは、僕がいつも心の中で反芻している言葉。

そしてこの3つに近い内容を、下重暁子氏は著書の中で語っている。人が生きていく上で大事になる”本質に触れた言葉”だとも思う。

 

この”人の本質に迫る”という部分で、気になったテーマが「若者と挫折」。

著書の中でも特にこれは面白かったです。

 

挫折を知らない人間ほど、つまらない人間はいない

挫折を知るとは、自分の本質を知る事と重なる。

挫折したとき、人は初めて自分の心の中をのぞく。それを入り口にして、自分の中へ折りはじめる。結果として自分の弱さを知ることになり、物を考えはじめる。自分の心と対話して、正直に自分を見つめようと努力するのだ。(p130)

 

 

下重氏は、挫折を知る事の重要性をこう説いている。

挫折をする事で、自分はどういった人間なのかを知る良い機会になるのだ。その過程で、自分の弱さを知る事になる。でも、そこから目を背けてはいけない。そこで自分の弱さと向き合える人が、人として成長していくのだと思う。そういった意味では、負けた時に人の本質が現れるのだと思う。

 

 

僕も自分の弱さとしっかり向き合える様に、猛省します。

そして、もう還暦になるぐらいの大人と、どんどん知り合いになりたいと思いまーす!そして、アドバイスをガンガンもらい成長しまくりたいと思います!では、今日はこの辺で。

 

若者よ、猛省しなさい (集英社新書)

若者よ、猛省しなさい (集英社新書)

 

 

 

 

地元で就職か。関東で就職するかを考える。

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 なぜブログを書くのか。それは、自分の気持ちを定点観測したいから。

 

 皆さん、こんばんは。これからしばらく地元・新潟に帰省しようと思います。その理由は、就職活動の準備をするからです。色々と準備や説明会に追われそうだなぁ。でも、Jリーグが開幕して、アルビレックス新潟の試合を見れる喜びに比べたら屁でもない。今年もアルビレックス新潟を全力で応援致します。

 

Uターンをするか。関東に残るか

さて話は変わり。僕は今年で大学4年生です。就職活動をしなければいけないのだけど、悩んでいる事があります。それは地元に帰るか、関東に残るか、です。

 

先日、一人暮らししている町に家族が来て呑んだのだけど、全く高揚感がありませんでした。自分でもビックリするぐらい。なんでだろう?ってすごく考えたのだけど、答えは一瞬で見つかりました。僕は、この町にそれほど“愛着”が無いのかもしれない。

 

端的に言えば、今住んでいる町に対して、“帰属意識”を感じていないのだと思う。

例えば、大学進学と同時に関東に上京し、初めて地元の新潟に帰省した時、地元の町並みを見るだけで、その時過ごした記憶がとめどなく溢れだしてきました。そんな経験をした事はありませんか?

 

新潟に帰省したら、アルビレックス新潟の試合を観戦しにビックスワンに訪れる。オレンジのユニフォームを身にまとったサポーターがスタジアムを覆う。その姿を見た時、やっぱり“新潟っていいな”って思う。

 

その様な土地に対する帰属意識が、今住んでいる関東には無いんだと思う。

だから、家族が関東に来た時もなんにも高揚感は無かった。この高揚感が無いのが嫌なんだ。逆に、関東の友人が新潟に遊びに来た時、”帰属意識と高揚感”を感じるパターンがある。この時は言葉ではうまく形容できないぐらい“心地良さ”を感じる。

 

自分が生まれ育った町に、関東の友人がいるという“違和感”がいつの間にか、すごい心地よさになる事がある。新潟で過ごした記憶と、関東で過ごした記憶が交差するかの様で面白い。「あれ、この場所でこんな事したよな〜」と回顧するその隣には、その思い出には全く関与しない、関東の友人がいる。その瞬間、とてつもない違和感が心を覆い尽くすと同時に、”幸福感”も与えてくれる。

 

初めて関東に上京した時、右も左も何も分からない状況で生活がスタートした。寂しさも感じたし、解放感も感じた。新しい町並みを目にするだけで、胸の高揚が止まらなかった。でも、今はそんな高揚はもう無い。

 

住むという事は、その土地に根を下ろすという事だ。どうせ根を下ろすなら、自分が好きになれる町が良いなと思う。

 

とりあえず新潟に帰ったら、“荒れ狂う日本海”を見に行きたいと思います。では、今日はこの辺で。

日本人は絶対に【日本人失格】を読んでほしい。

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 田村淳さんの「日本人失格」を読んでみました。

田村さんが感じる、日本の”ここがおかしいよ”という考えが書かれている。普通、日本のおかしいと思われる部分を指摘したら、空気を読めない奴、浮いている奴だと思われてしまうだろう。それが嫌で指摘出来ない人もいるだろう。でも、田村さんが感じる日本人の”同調ストレス”から離れ、あの人は変人だなって思われて生きていく方が楽なのかもしれない。

 

 本の最後で田村さんは、日本の大問題「思考停止」と「依存体質」について話を展開している。僕はこの章の「思考停止」について自分なりに掘り下げていきたい。

 

思考停止にならずに、ルールを破れる人間でいたい

 思考停止になる理由はなんだろう?

その理由として、人の目を気にして、自分には出来ないと悲観的になってしまうからだと思う。 でも、僕が何かチャレンジしてうまくいったり、充実感を得られた時は、例外なく”他人の目”を気にしていなかった時だった。

 

自分の中で何かやりたいなとか、これはチャレンジしてみたいと思いが生まれる事がある。しかし、何をしてもうまく行かない時がある。その時の思考の象徴は「これはできるか、できないか?」で分断されている思考の時だ。チャレンジする事に対して、「できるか、できないか」で悩んでいる時点で、その挑戦がうまく行くはずがない。

 

 逆に自分の中で、物事がうまく行く時の思考が「やるか・やらないか」の思考のときだ。この時の頭の中では、これから自分が挑戦する事に対して、”できる・できない”の思考が完全に排除されている。「できるか・できないか」の思考の時は、必ずと言っても良い程、失敗した時を考えてしまっている。”これが出来なかった時は、どうしよう…。”と。失敗した場面を思い浮かんでしまうので、挑戦する事を避けてしまうのだ。

 

でも、「やるか・やらないか」の思考は最強だ。だってその思考の時は、失敗を失敗だと思わないからだ。例えば、僕が好きなタイプの女性が出来た時の話。大学で本当にタイプだなって思う女性がいた。200人ぐらいいる授業の中で知ったのだけど、学部も違うし、何にも接点は無かった。もう、完全な無の状況からスタートした。

 

 何にも接点が無いけど、すごくタイプだったので話かけてみる事にした。

その時は、ストレートに素直に気持ちをぶつけて、「授業で見かけてすごく素敵だなって思っているので話しかけました」と理由を伝えた。相手は驚いていたけれど、話に応じてくれた。でも、いきなり話かけられてびっくりしたのか、初めて話かけた時はうまく行かなかった。

 

でも、この時の自分はとにかく達成感で一杯だった。もう、駆け引きなんかしないで、話しかけた理由をしっかり伝えたら、相手も話に応じてくれたから。この人は素敵だなって思い、しっかりと飾らない思いを自分の言葉で話せるのならば、別に接点なんか何にもなくても、気にせず話しかけてみればいいんだって思った。別に、なにかのキッカケは必要ではないと思う。

 

 まず、自分の言葉で伝える事から始めよう。

 

 

自分が持っている固定概念を壊していきたい

  自分が持っている固定概念に捉われてしまって、うまく行動出来ない人もいると思う。僕はその固定概念を壊していきたい。

 

前述した女性とは、あれから何度も話しかけて連絡先をゲットした。ご飯にも行った。でも、その過程でうまく行かない事はたくさんあった。でも、物事を「やるか・やらないか」の思考でチャレンジしている時は、スムーズに物事がうまく行かなくても、そこで諦める事はない。うまく行かない事が起こっても、そこで反省して次に生かそうと頭を切り替える事が出来る。でも、「できるか・できないか」の思考で挑戦自体を諦めてしまったら、何も得る事は出来ないだろう。

 

だから、僕は自分が「できるか・できないか」で物事を考えている時ほど、危険だなって思う。その時は、何も挑戦していないからだ。

 

挑戦する過程で得られる事が多くあるのだから、まずは「できる・できない」の思考から離れて、とにかく「やるか・やらないか」の思考に切り替えて挑戦する事。それが1番大事だなって思う。思考停止にならずに、どんどん挑戦したい。

明智小五郎の文代夫人は、怪人二十面相の妻になったのか。

 

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 皆さん、こんにちは。僕は現在、江戸川乱歩にハマっています。つい先ほど、明智小五郎事件簿の「魔術師」を読み終えました。いやー面白かった!この魔術師では、明智小五郎の夫人となる文代さんが登場します。

 

でも、僕は明智小五郎事件簿を順番に読んでいないので、文代夫人の事をとっくに知っていました。文代夫人が活躍する「吸血鬼」や、かなりの危機に晒される「人間豹」。これらを先に読んでいたので、文代さんが明智小五郎の探偵助手としてかなりの手腕を持っている事を既に知っていました。でも、どんなバックグラウンドを持っているかは知らず。「魔術師」では、文代さんの様々な背景を知る事が出来ます。

 

しかし、僕は読了後に、大槻ケンヂさんの解説を読んで少しびっくりする事がありました。

明智夫人は、明智の探偵団の中に、だんだんと登場しなくなり、やがてフェードアウトしてしまうのだ。 

 

あれだけ作品内で焦点が当てられている文代さん。なぜ、文代夫人は段々と作品内に登場しなくなるのでしょうか。

 明智の夫人が少年探偵シリーズから消えた代わりに、怪人二十面相の妻らしき女性が作品に登場するのだ。これは、もしや、明智夫人が、名探偵の夫を捨て、大犯罪者の妻として寝返ったということでは無いのか?

 

こう考察されています。まさか、こんな事があり得るのでしょうか?

でも、思い当たる節が、江戸川乱歩のアニメ化されている作品で確認出来るんです。

 

 

TRICK STER 江戸川乱歩 「少年探偵団」では、どうなっているのか?

 僕は江戸川乱歩の著作が大好きです。しかし、その乱歩の「少年探偵団」がアニメ化されているとは知りませんでした(笑)2月に入り、何気なく深夜番組を見ようとチャンネルをいじくり回していた時に出会ったのが「TRICK STER」。

 

trickster-project.com

 

見始めたのが17話からだったんですが、正直な感想は意味がわからない(笑)

だって設定が2030年になっているし、小林芳雄君は「死ねない身体」になっているし、アニメ化するにしてもこの設定はよくわからんわと思いながら見ていました。

でも、そんな文句を言いながらも見続けようと決意した理由はEDの曲を見たから。

 

 

 深夜にこのEDが流れた時は、あまりのかっこよさに脱帽(笑)

普段アニメは全く見ない僕が、継続して見ようと決意した理由がこの「罪の継承」という曲に魅了されたからです。ガクトさん、かっこよい!!!

 

 今週の月曜日に放送された回で、なんと文代さんが登場します。そして、明智小五郎怪人二十面相の両者は文代さんに惹かれていきます。これは、あくまでもアニメの内容として面白くするためにしているのかな?と解釈していたのですが、しっかりと可能性に基いた設定だったんですね。

 

 少年探偵団シリーズから、文代夫人が段々とフェードアウトしてしまう。その理由はなぜなのか?

 

このなぜ?が自分の心の中に生まれた瞬間が、生きている瞬間でたまらなく幸せ。これから、乱歩の著作を読み込んで自分なりのアンサーを作るぞー!!では、今日はこの辺で。

 

 

 

 

人間は、そんなに強くないんだって。

  清水富美加さんの件について思う事。

 宗教や信仰などはその人の自由だと思うので、別に驚く事は無かったけれど、やっぱり彼女の精神的な状態がかなり気がかりだ。

 

 周りに迷惑をかけてしまうというのは本人も理解している。でも、時に人は肌感覚でそれを感じているけど、自分の心身が疲弊してしまって、うまく正しい行動を出来ない時がある。自分の心と身体の状態がうまくセットして、ようやく行動出来るという事を忘れてはいけないし、その心身面で限界が来てしまったのならば、一度しっかりと休めばいいと思う。

 

 自分の言葉でしっかりと話せと言うけれど、意外とこれが難しい。自分が抱えている悩みがあって、それを周りに言おうとしても、言葉が全く出てこない時がある。話そう、話そうと思っても何も言葉を発する事が出来ない。そんな経験を僕はした事がある。

 

 自分の言葉で自分の悩みをはっきりと周りに伝えられる人がいたら、その人はまだ全然ましな方だ。本当に苦しんでいる人は周りに伝える事が出来ずに、ただただ苦しんでいる。

 

僕は、友人でもそうした精神的な悩みを抱えて、苦労して、それが爆発してしまった瞬間を目にした事がある。周りからみたら、なんで?と思うかもしれないけれど、本人はとても苦しんでいたのだ。

 

そういった人の心は、冷凍されたかの様に固く凍りついている。その心を溶かす作業をゆっくりとゆっくりとしなければいけないのだけど、それが出来る人は少ないだろう。そして、この作業が出来る人と出会えたら、自分の人生は本当に楽になる。

 

大事な事は「主観」と「客観」のバランスだ。

皆、自分が今いる立場の「主観」から抜け出す事が出来ずに、とても苦しんでいる。そんな時こそ、「客観的な意見」が大事になる。そして、その客観は環境を変えた時に得られる事が多い。だから苦しかったり、悩んでいたら、思い切って環境を変えた方が良いと思う。環境を変えた時に「客観」は得られるから。

 

あと、もう1つ大事な事は、想像力だ。

一見、周りから見たら不可解に見える行動でも、それを変だなと解釈して終わってはいけない。全てを「なぜ?」の研究テーマとして考える。例えば、なぜ、この人はこんな状態に変わってしまったのか?と。そうして少しでも相手に対して、想像力を働かせる事が大事になる。

 

 僕は、大学2年生の時に、精神保健福祉士になりたかった。その関係で出会えた、精神保健の分野で尊敬している施設長がいる。その方に、悩んだ時、苦しんでいる時は躊躇いもなく相談をする様にしている。その度に自分は強くないんだなって思うけど、相談を終えた後には、人が持つエネルギーの力を身を持って体感出来る。

 

 人間は 、そんなに強くないんだって。

だから、ゆっくりと時の経過を感じながら、人として成長していけばいいのだと思う。

兵庫県立飾磨工業高校柔道部の三輪光先生は、「人間的成長とは、器の材質を変えていく事」と仰っている。自分の人としての器が、ちっちゃくても、大きくても別にどっちでもよいと。大事な事は、その器の材質を変化させていく事。例えば、器の材質がガラスの様で、1度割れてしまったらもう元の様に戻れない人もいる。そうした、人の材質を粘土質の様に、何度でも器を作り直せるようにしていく。 その作業が、結果として「人間的成長」に繋がるのだ。

 

だから、1度崩れてしまっても何の問題は無い。また、器の材質を強固に出来る様に作り直していけばいいのだから。と僕は思う。では、今日はこの辺で。 

スロウハイツの神様のエンヤは幸せになったのか。

 

 僕が大好きな小説家・辻村深月さんの著作に「スロウハイツの神様」という作品がある。僕はこの作品が大好きだ。その理由は、この作品に出てくるエンヤというキャラクターが置かれる境遇にすごく共感したから。彼の心の苦しみがすごくわかり、彼の気持ちが痛いほど分かったのだ。

 

この作品の設定としては、それぞれ自分の夢を持っている若者たちが、トキワ荘の様に1つの家に皆で生活を共にしている。そこに住む者は色々な人がいて、絵本作家を目指している者、画家を目指している者、はては作家としてもう成功している者もいる。

細かくストーリーを書くと、かなり話が逸れてしまうので、ざっくり説明すると、もう作家としてかなり成功している赤羽環(あかばねたまき)という女性がいる。そして、同じく作家を志望しているがそこまで売れていない円屋という男性がいる。このエンヤは、赤羽環とは小学校からの友人である。

 

でも結論から言うと、このエンヤは赤羽環と決別し、スロウハイツという建物から出ていく事になった。僕はエンヤがこの様な過程に至るまでの苦痛が痛いほど分かってしまった。

 

エンヤは環を超えたかったんだ

 はっきり言えば、エンヤは環を超えたかったんだと思う。でも、同じ作家として、環と自分の間に“超えられない壁”があるのを認めたくはない。その差を認めて、環の側にいるのは苦痛でしかない。だから、エンヤは環の側から離れる事を決意したのだと思う。

 

他の仲間が、環と仲良く談笑している姿を見て、エンヤは「お前ら環を超えたいと思わないのか」と言葉を発する場面がある。僕は、このエンヤの言葉が痛いほど分かってしまった。

 

この人を超えたい。この人と肩を並べられるような存在になりたい。誰だってこんな感情を持つ事はあるだろう。別に悪い気持ちではないと思う。僕だって、このような感情を持つ事はある。いや、めちゃくちゃ持っている(笑)でも、この感情を持って、自分は幸せになれるのかと不安になる事がある。

 

人の心情を洗い出すかの様に描写するのが、辻村深月さんの真骨頂

 辻村深月さんの作品と言えば、ジャンルで言えばミステリーに当たるだろう。

辻村さんの作品は、猟奇的や怪奇的なシーンが多く描かれる。でも、辻村さんの真骨頂は、人の心情の細かい機微を洗い出すかの様に描写するところだと思う。読んでいて、これだけ作品内のキャラクターの気持ちとシンクロ出来る作品は他にはない。

 

 辻村さんは本を読むことの1番の楽しみは、「他人になれること」と仰っている。実際に僕は作品内でエンヤになりきってみたけれど、幸せになれた気がしない。

エンヤは、幸せになったのだろうか。僕はいつか辻村深月さんにそこを聞いてみたい。

 

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

 
スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)

 

 

現代の高校・スクールカーストについて考える。

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 昨日、僕が大好きな「好きか嫌いか言う時間」というテレビ番組が放送されていました。内容が面白くていつも見ているのだけど、今回のテーマは「学校」でした。その中でも、すごく気になったのが「スクールカースト」について。

 

 このスクールカーストという言葉は学校内での階級という意味。

この階級は別に生徒の学力での階級ではなく、「イケてるか、イケてないか」の様に目に見えない階級みたいなもの。正直、言葉でどう説明したら良いのかわかりません。でも、僕も高校生の時は肌感覚でこの階級を感じた事があります。

 

 昨夜の放送を見て正直な話をすれば、”今”高校生じゃなくて良かったというのが本音です。それは、LINEいじめについて話をしている時に強く思いました。僕が高校生だった頃は、LINEなんて流行っていなかったし、既読無視なんていう概念自体ありませんでした。

 

 仲が良い友人にメールをして、すぐに返信が来なくても”特に気にしない”のが普通の事。携帯見てないだけなんだなって解釈していました。でも、今の高校生はLINEいじめがあると思うとゾッとしました。

 

 そんな中、りゅうちぇるさんが高校生の気持ちを思いやって、友達ってどういった存在なのかについて、この様な事を仰っていました。

「高校生の時は、一緒に移動教室を共にしたり、一緒に行動する人が、友達だと思うんだよね」と。

 

確かに高校生の時は、こんな考えがあったのかもしれません。でも、この関係は僕は友達ではないと分かっています。青山学院大学陸上部の原監督も言っていたけれど、この関係は卒業したら関係性としては”知り合い”ぐらいになるのだと思います。

 

 やっぱり本音で話し合える友人が絶対に必要になると思う。自分がこう思っている!という”熱い思い”を話せる友人に1人でも出会えたら、高校生活は幸せに過ごすことが出来ると思う。僕はそういった友人と出会えたので、本当にそれだけでもう満足しています。そういった友達は自分が新しいチャレンジをしようとする時に、「お前には無理だよ」なんて言わずに、とことん背中を押す言葉をかけてくれます。

 

 だから、あまりスクールカーストなんか気にせず楽に過ごせばいいと思う。1番の理想は、クラス全員が先生を倒してやるみたいな思いを持っている事(笑)

先週「アメトーーク」の「スクール☆ウォーズ芸人」を見て強く感じました。「あの先生なんやねん!」みたいな状態が出来れば、クラス内の誰かに矛先が向けられる事はないと思う。現代版、スクール☆ウォーズだと思うのが、兵庫県立飾磨工業高校。ここの柔道部顧問・三輪光先生が本当にすごい。詳しくは、「ありえへん∞世界〜飾磨工業柔道部編」をご覧あれ。

 

 大学1年生の時に飾磨まで突撃した事があったのだけど、現代にこんな先生が存在しているの!?ってぐらいの先生です。でも、三輪先生の様に生徒ととことん向き合う人も絶対に必要だと思う。高校生の感受性ってすごいですからね。だからこそ、生徒は”自分の為を思って喋ってくれているんだな”ってスイッチが入れば、あとは自然と変わっていくはずだと思います。

 

 三輪先生の言葉の中に、「生徒を色で見ろ」という名言があります。

生徒を色で見る事によって、この子はこういった色なんだと、あくまでも個性として見る事が出来るので、自分の好き嫌いで子どもと接する事はなくなるとの事。1度、兵庫の飾磨まで突撃してみる事をオススメします。では、今日はこの辺で。